6.民謡の価値

『秋田長持唄』

蝶よナーヨー花よとヨーハーヤレヤレ
育てた娘 今日はナーヨー 他人のヨー
オヤ手に渡すナーエー

さあさお立ちだ お名残おしや
今度来る時ゃ 孫つれて

傘を手に持ち さらばと言うて
重ね重ねの いとまごい

故郷恋しと 思うな娘
故郷当座の 仮の宿

箪笥長持 七棹八棹
あとの荷物は 馬で来る
<参照:秋田県民謡協会>


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 ということで、全国的にも有名な民謡「秋田長持唄」。
 最近では民謡というと隅に追いやられ、古臭い歌であるというイメージが強いと思います。しかしながら、実際に聞いてみるとその唄の力強さは凄いですし、詞に込められた想いと当時の暮らしの姿というのは、教訓や歴史を学ぶものとして、そして大事な感情を思い起こすものとして逸品ではないでしょうか。
 「秋田長持唄」は親族が嫁いでいく娘に対して、惜別を感じつつも、「向こうの家でしっかりおやり、私たちの心配はしなくていいからね」というとても優しい親心を示しています。今でこそ交通機関が発達しているので暇と交通費さえあればいつでも実家には帰れるようなものですが、この歌が作られた当時はそうもいかなかったでしょうし、文の類もそう簡単には送れませんでした。だからこそこの唄に込められた想いというのは、相当なものだったでしょう。こうした文化的感情的側面を伝えてきた民謡を、このままにしてはとても勿体ないのではないでしょうか。
 ただ、実際にこの良さというのを若い人にそのまま伝える、というのは難しいとも思っています。"古臭い歌"というイメージは、メディアの力が強力に及んでいる今の音楽シーンでは(最近はそうでもなくなってますけどね)、そもそも聞くことが無い、チョイスができない可能性もあるからです。
 以前、このブログの「4.町づくりブレスト091201」の「新」と「旧」の概念についてという内容エントリで、新旧の融合について触れました。この秋田長持唄、というよりは民謡などの伝統音楽についても、ほぼ同じような理があてはまるのではないかと考えています。"「新」という新しい流れ、線の上に「旧」を乗せることで、その実(じつ)の価値観を見直し、アピールすることが「旧」の再活性化に繋がる"という部分ですね。つまり、民謡を新しい価値に乗せることで伝えていったらどうだろうか、という提案です。
 
 
 実例として、以下に「秋田長持唄」をYouTubeから幾つか掲載します。

(1)大塚文雄会長品川区しあわせチャリティ−交流会
(2)香西かおり 藤あや子 民謡 秋田長持唄
(3)東京エスムジカ - Marriage Song inspired by 秋田長持唄

 (1)は伝統的な形式での長持唄であり、ご年配の方々はまだまだ十分に楽しめると思います。歌い手の方も、なかなか楽しげで好ましいと思います。(自分、こういうの凄く好きなんですよね・・・(笑))
 (2)はテレビメディアの上での長持唄であり、オーケストラと全国的に有名な歌手お二方が歌われています。こうした形でこれま民謡も全国的な知名度を得られていましたが、現在の紅白の状態を見ると、なかなか難しいんではないかなとも思ってしまいます。
 (3)は東京エスムジカというエスニックミュージックを中心とした、ごく最近のアーティストなのですが、秋田長持唄からのインスパイア作品がこれになります。自分の周囲ですとかなりこの楽曲の評価は高いです。


 こうした流れの中で、改めて"秋田長持歌"を再評価し、若い世代も触れやすい機会を増やす、というのは大事なことではないでしょうか。また、アーティストという憧れを持ちやすい生き方を目指す傾向のある若者が、こうした伝統を新しい価値観で再創造することも、まちづくりの中では一定の意味を持っていくと考えています。
 坂本龍一さん(以下、教授)は、YMO時代から現在に至るまで様々な楽曲を世に送り続けています。教授は古今東西の伝統音楽にも知識が深く、近年のアルバムにおいてもそうした傾向はみられ、その評価もまた高いものです。若かりし頃はテクノミュージックに触れ、「新」という概念の先頭にあった方ですが、現在に至るまでのご活躍には新と旧がしっかりとその音楽に反映し、その中に分厚くメッセージ性を持たせているということもあるでしょう。


 最後に教授の"過去"と、SevenSamuraiという楽曲を乗せておきます。若いうちは、馬鹿やりつつ、勉強もしつつ、色々やってなんぼだと、そう思います、ということで(笑)
 【ごっつええ感じ 野生の王国
 【Ryuichi Sakamoto - Seven Samurai