3.Twitter考091123

140文字という短い"呟き"がユーザーの間を駆け巡る。
フォローとフォロアーの関係は、ブログ等のまとまった文脈の中では無く、主に雑多で日常的な呟きによる会話の中に存在する。そこにはある程度の推敲はあるかもしれないが、ほとんどの場合は直感的なものだろう。今までメッセンジャーやチャットなどの親しい間柄で利用されてきた空間が、一気に大勢へと解放、拡張されている。
このメリットは絶大である。これまでクローズだった個々人の日常が呟きという簡易な手段により広まり、Web上の関係性がこれまでよりも遥かに密接になった。文章力がそれほどなくとも、不特定多数とたやすくコミュニケーションがとれるようになり、またその範囲も拡大しやすい。

しかしながら、同時にデメリットも限りなく大きいのではないだろうか。
単純で簡易な"呟き"は、Web上においては「ウィスパー」という意味は持たない。投稿すれば即座に世界中に広まる可能性を持つ。それを誰が見るのかは、WWW上にある限り、ブログなどと変わらない影響力を持つだろう。それが(想定通りほぼ)直感的であるのならば、問題を孕む可能性は非常に高い。
140文字という短さは文章の本意を伝えにくい側面もある。また、キャッチーな文言を含め、扇動的に書くことで、プロパガンダ、世論操作にも利用することができるだろう。そして、RTというシステムは"呟き"を瞬間的に拡大していく。

Twitterは自分のような、発言することをアイデンティティ獲得のメインに据えているような人間にとってはとても有用なシステムである。Web利用者全体にとって、広大なコミュを形成するにあたって、大きなメリットが存在する。しかし、その利用にあたっては、発言内容に対する責任と、文章の内容と含意を見極めるリテラシースキルが、これまで以上に重要になってくると考えている。
今後、Twitter上で様々な悲喜劇が起きるだろう。一番左側で社会学を学ぶ者として、それをひとつひとつ目にし、新しい世界のコミュニケーションとはどのようなものなのか、それを学びたいと思う。